小ネタ [未分化]
>知人の話です、聞いた事有る人も居るかも知れません。
トイ・プードルが欲しかった、その若者は市場の価格に愕然としていた・・・
購入金額15万~20万と言う金額は出せない金額ではないがキツいのも確かだった・・・・・
半ば諦めかけていた、愛犬購入の夢だったが、ある日光が射した!!
ネット上にもかなりの数のペットショップが有る事に気が付いたのだ。
そして、彼はかなり熱心に調べて、安値で取引をしている良心的そうなショップを見つけたのだった。
購入に踏み切り5万を入金して、愛犬が来るのを心待ちにしていた、届いた愛犬はとても愛らしく、彼を舞い上がらせるのには、十分すぎる程に可愛らしかった。
悩んで、考えて、購入した愛犬は想像以上に彼の生活を楽しい方向に変えて行ったのだった。
一緒に風呂に入って、一緒に布団に入り、出勤の時には目がウルウルしそうに成った事も有った程でした。
溺愛して、いつも一緒に まるで孫を溺愛するおじいちゃんの様だった。
しかし、そんな幸せもそんなに長くは続かなかったのです。
ある日帯広市の広報を読んでいると、ペットとして飼われて居る犬の予防接種の日程が書かれていた。
そう、彼の愛犬も生後数ヶ月で該当していた。 自分が行ける日を確認して予防接種を受けに行かなくてはならない。
そんな彼は自分の都合をキャンセルして予防接種に行くのだが、その会場で信じられない事件が起きた・・・・
平日の午前中だと言うのに、この人だかりは・・・ 愛犬自慢の奥様方で賑わっていたその会場でも
臆する事無く、愛犬と戯れ そして自分の犬の順番が来るのを待った。
前の人が終わり、彼は愛犬を抱えて獣医さんの前に立った、『こんにちは』と獣医さん、遅れて彼も挨拶を返した。
一寸の間が有って、獣医さんが口を開いた、『この犬、どんな鳴き声で鳴きましたか??』と彼は・・・・
考えました、実は鳴き声と言われると聞いた事が無い様な気がして、今獣医さんに言われて初めて不思議に思ったのです。
苦笑いをしながら、首を傾げて考えていると獣医さんは言いました。
『これ、羊ですよ』
彼は獣医さんが何をっているのか理解するのに言、時間が掛かりました・・・・・
そうです、トイ・プードルを購入した筈なのに、彼が今抱いているのは生後3ヵ月程の羊の子だったのです。
彼は、愕然としました。 騙されたんだと・・・・
でも騙されても仕方無いと言い聞かせました、それよりも羊と分かったら自宅アパートで飼い続けるのは無理と言う事に
気が付き、今迄短い間だったが一緒に過して来て、とても楽しく、充実していたのに・・・
彼は、騙されて事より、この先一緒に暮らせない事に落胆したのです。 そして、後日近所の農家に預ける事にしました。
仕方が無いのです、大きく成ってしまうし、今迄の様にミルクで育たなく成りますから・・・・
断腸の想いで農家に預けるのですが、彼が農家の人達にこう言いました。
『食べないで下さいね・・・』
今もその農家に会いに行っていると言う事です。 嘘の様な本当に有った実話です。
皆さんも気を付けて下さい。 長文にて失礼します。
ああ、ASIMOよおまえもか…
「まだ、気づいていないでしょう…」ってそこから立ち上がってまた上るのかと思うじゃないか…
何か健気でかわいそう。
府中からダストボックスが消える日 [社会ニュース]
府中市のゴミ収集システムからダストボックスが消える日が近づいてきたようだ。
(武蔵府中のゴミ処理について)
ダストボックスシステムは、1966年に府中市が他の自治体に先駆けて導入した、24時間いつでもゴミ捨てのできる画期的なシステムである。
各地域にダストボックスと呼ばれる浅緑(可燃物用)とオレンジ(不燃物用)の鋼鉄製の箱が置かれ、ボックスが満杯になるまでは住民がいつでもゴミを捨てることのできるという都市生活に対応したシステムである。さらに、ボックスの中にゴミがしまわれることになるから、カラスなどの害鳥によって散らかされる心配もない。
近年、このような便利なダストボックスシステムの利点を逆手にとり、府中市住民以外のゴミの不法投棄がダストボックスに行われることがあるという。さらに、それは推計でゴミ総量の約2割に達し、府中市民の多くの税金でこの処理費用を捻出していることになる。
もう一つの問題は、24時間いつでも捨てられるという利便性と、ボックスがまさにブラックボックスと化しているというてんから、分別回収が進まない点にあるようだ。以前多摩地区では府中市に倣って日野市や多摩市でもダストボックス収集が行われていたが、それを廃止して以降大幅なゴミ減量と資源ゴミ回収率の向上が見られたようである。
確かに、何でもかんでも「ゴミ箱」に一緒くたに捨ててしまえば、「かきすて」できるという日本人の性格からして、わざわざゴミをペットボトルとか、ビン缶とか、ゴミ袋が半透明になる前にみんな真っ黒いゴミ袋に「かくして」捨てていたのと同様に、ダストボックスに何でもかんでもひっくるめて捨ててしまうという欠点を露呈しているかもしれない。そのような意味で言えば、人間が「分別をする」」という前提で作られているダストボックスは行政施策から見れば、失政と呼べるものであるのやもしれない。
しかしながら、果たしてことはそんなに簡単であろうか? そもそもダストボックスが考案された背景としては、都市化に伴う住民サービスの向上という原則があったはずである。行政としては住民サービスを向上させ、それに伴ってその住民サービスを享受する府中市民こそ、当時の都市生活者のモデル的な存在としてゴミのあり方を方向付ける地位にいたはずである。だからこそ周辺の各地自治体にこのシステムが広まっていったという点もあったはずだ。しかしながら、次々とこのシステムを廃止したあげく、当の府中でも廃止になってしまうという。
さらに、これらのことがゴミ処理に負担をかけているのが原因なのかそうでないのかは、拙者の詳らかにするところではないが、ゴミ処理場の老朽化も目立ち、周辺市と共同で設置している、二つある施設のうち一つが2009年に閉鎖されてしまう見込みであるという。かくなればゴミを減量することは府中市民にとっては喫急の課題であるともいえる。しかしながら、住民の反応は(反省の意味において、拙者も含めて)大変に鈍いといわざるを得ない。周辺の市の業績から鑑みても、当然、ダストボックス廃止による当座のゴミ減量は期待できるのも事実である。ただ、本当にそれで、つまり、行政側からの一方的なサービスの停止による不可抗力的なゴミ減量施策が、根本的な問題の解決につながるといえるのであろうか?
いろいろな論点が考えられる。ゴミを作り出してしまうような産業構造システム、すなわちゴミ減量をなし崩しにしてしまうような、「ゴミの出る」消費生活についての内省が、否応なしに行われることによって減量されるという状況は、おそらく、何らかの消費生活上の無理を生み出すに違いない。住民からすれば単純に行政サービスを減ぜられてなおかつ負担が増えるというのであるから、これについては住民側の利益という点からはマイナスであろう。しかしながら大局的にゴミ処理能力の限界という問題は、さらなる負担を住民に強いることになる故、このことについて語ろうとすれば、「ゴミを減らすのが先か、」サービスを減らすのが先か」という結論に達せざるを得なくなってしまう。
そこにおいて強制的なサービスの収奪が行われるとすれば(しかも、巧妙に責任の所在を明確にすること無しに)住民側の反応は鈍くなってしまって当然であろう。この後に及んで「ルール守らないやつがいることを反省しない市民が悪い」等という観点からだけシステム変更をしてしまうことは、たとえば美化的な問題、環境保全の重要な論点等を真に内省する契機となりうるのであろうか?
拙者ははなはだ批判的である。このようなカンフル剤的なゴミ減量は一時的には成功するだろう。しかしながら根本的に行政が住民サービスを廃止することから生まれる「強制力」というのは、決して「生産力」に転じることはないだろうというのが拙者の見方である。それを克服するためにはどうしたらいいのか? おそらく、問題はダストボックスに存在しているのではないはずである。
この優れた理想にたったシステムを成熟させることができなかったという点において、府中市民としての責任を感じざるを得ない。本当に、日本で最期のダストボックスは、このまま消えてしまうのだろうか?
自由の国ニッポン [社会ニュース]
こういう人がまた選挙あると出てくるんだろうなぁ。
平和の証。こういう人が出ない社会こそ不健全な社会かも。
ゆいつーしんマタヨシイエス氏でした。
"又吉イエス." Wikipedia, . 9 3月 2007, 17:40 UTC. 11 3月 2007, 02:34
水中水上スポーツの効果 [コーチ業]
アクアスポーツ、水中スポーツといったとき、基本的には水中運動と同義語と考えてよい。ただし、水中運動といっても水泳競技からアクアビクスまで広い範疇があり、またその文脈においては水遊びも水中運動の一つということになる。競技としての水中運動であればいかに速く泳げるか、いかに美しく魅せるかということに焦点が置かれるが、水中遊びにおいては、いかに深く潜れるか、どうしたら長く泳げるか、どうしたら楽に浮くことができるのか、どうしたら水中回転ができるのかと言うことなどが課題になってくると思われる。
水中という環境は人間のごく身近な周囲にありながらも、うまく利用するためには水中環境を効率的に生かしていく必要がある。さらに、水が身体に及ぼす影響は陸上とは異なっており、健康のためによりよい効果を持つという側面もあろう。毎分40㍑の酸素摂取量のとき158bpmの心拍数を示すが、水中にはいると125bpmに低下することがある。これを入水性あるいは潜水性徐脈といい、身体に与える影響の一端を示しているものといえる。
この徐脈の原因は2つ考えられ、止息性要因と顔付け要因である。止息によって肺の吸気量が低下すると、胸腔内圧が低下し、動脈血中のO2濃度の低下とCO2濃度の上昇などが徐脈を誘発している。反対に意識的なバルサルバ・マヌーバーあるいは受動的なバルサルバ反射によって胸腔内圧が高まり心拍数が上がると言うこともあり得る。一般的には、止息時間を延長することによって徐脈が顕著に出現する。
顔を水につけることによって顔に存在する温感レセプターへの冷水刺激によって迷走神経が興奮し、心拍動が緩やかになることが顔付けファクターによる徐脈である。一説によれば心拍数にして22%、心拍出量で14%の低下が報告されている例もある。
さらに心理的要因も考えられ、水泳選手のようにトレーニングされた人は心拍数の低下が大きい。水泳選手は潜水性徐脈が大きいことが一般的に確認されている。選手になると体脂肪率が少ないために、水温の影響を受けやすい。その結果として冷水反射に対する水温の影響からの徐脈を引き起こしやすくなる。反対に肥満者の場合は25℃~35℃の水温の場合ほとんど水温の影響を受けないという。
さらに水中運動を行うことによって徐脈は一層強調される。水泳選手は水泳による運動負荷の影響を受けないが、一般のトレーニングされていない人は水泳によって大きな負荷を受け、呼吸数、心拍数、それに対応した酸素摂取量等の増加・亢進が見られるのである。
辞書の使い方 [英語教育]
He is very tall, but his father is not so tall.(彼は背が高いが、彼の父はそれほど高くない)
この意味は高校生にとっては明白であろう。しかしながら次の文はどうだろうか。
The exam was very easy. Therefore there was no one but could answer the questions.
therefore「それ故に」
no one 「誰も~ない」
there was^ 「~がある、いる}
could「できた」
answer the questions「問題を解く」
but「しかし」
組み合わせて直訳すれば、以下のようになる。
「試験は易しかった、それ故に、誰も問題を解くことができる人はしかしいなかった」
何か変ではなかろうか。易しかったのであれば、誰も答えられないなんてことはないはずである。
このような場合に、辞書を用いて誤報を分析する必要が生じるのである。
文をみて最初に行う作業(第二言語として接すれば意識的に行う必要があるが、第一言語としても無意識のうちに行っているはずの作業である)は主語と述語(この場合は助動詞+動詞)を見つけることである。さらに具体的に説明すれば、
主語の人称(単数、複数、一人称、二人称、三人称)
時制(現在、過去、未来表現)
法(仮定法か直説法か)
また以上によって変化している動詞の変化型を見いだすことである。
例を挙げれば、be動詞は人称などによってam are is was wereなどと変化する。上記の例文で言えば、変化型としてはwasが二つ出てきていることになる。一般動詞としては、過去形には-edがつくとか、三人称単数現在型では-sや-esがつくなどの変化がある。また助動詞も時制によって変化を受ける可能性があり、上記の例ではcanが過去形のcouldに変化していることがわかる。またquestionsにはsがついているが、これは三単現のsではない。questionsの前に定冠詞のtheがあるわけだから動詞ではなく名詞と見抜く必要があり、このsは複数形につくsであるということになる。
つづいてそれぞれの(助)動詞の主語をみつけていく。最初のwasの主語はthe examinationであることは、わかりやすいだろう。そして、意味としては「その試験は~だった」ということになる。ここの「~」に相当するのが形容詞のeasyで、veryはその形容詞を修飾する(強める)副詞ということになる。そこで意味をとれば、「その試験はとても簡単だった」ということになるのである。
次のwasの主語は少し微妙である。there構文においては語頭のthereは通例名詞ではなく副詞と考えられていて、その後に続く名詞、ここではno oneが主語であるということになる。さらに、could answerの主語は何か考えてみれば、前後にある名詞が主語だと考えれば、the questionsがあるけれども、これが主語だとすると質問が答えることになってしまって意味がおかしくなる。さらにno oneはwasの主語であるわけだから、他に名詞は見あたらない。どうすればいいのか?
普通、倒置や疑問などをのぞいて、主語は述語の前に置かれる。それから考えるとbutが直前にあるからbutではないかと思ってしまう。butの品詞をチェックしてみよう。
butは「しかし」という意味で普通に使われる接続詞としての使い方以外に、「ほんの、たった」というイミノ副詞としての働き、「~以外の、~でないもの(=that~not)」という意味の関係代名詞としての働きもあることがわかる。
主格の関係代名詞であれば、後ろに(助)動詞を従えて主語になることができる。
そこで、関係代名詞ととらえてthat~notで書き換えてみよう。
Therefore there was no one that could not answer the questions.
こう書き換えてみると、could not answerの主語が関係代名詞のthatであることがわかる。
意味をとれば、「問題を解くことができない人は誰もいなかった」ということになる。
こうしてはじめて文全体の意味を明確にとらえることができるのだ。
辞書は、このようなときにこのような方法で用いるのが基本的な使い方である。単に知らない単語の意味を調べると言うことだけでは辞書の持つ機能の非常に小さいごく一部を使っているに過ぎないのである。辞書には非常に多くの情報が収録されている。辞書になれるまでには、引くのは面倒だし、時間がかかることも否めない。しかし、このように考えながら引く習慣をつければ、これほど有用なものもないのである。一冊の辞書を手垢がついて真っ黒になるまで使い切るぐらいに使いこなせば、英語力も向上させることができると言えよう。
男は黙って…
今日仕事の休憩中に話題になったことですが、最近アホみたいにべらべら喋る男が多すぎるようだという話があります。
文字通り、聞くに堪えない。
宴席とかパーティーとかで黙りを決め込む男というのは、それはそれで困りものでしょうが、そういう場所であるかどうかにかかわらず、多くは満員電車の中とかで、しょうもない話をさかな君みたいなトーンで(さかな君はさかな君で立派な仕事をしているように思いますが、そのこととそれっぽい口調というのは全く別の話)ペラペラクダクダ話しまくる輩が増えているのは、気のせいかと思っていたら、結構みんな感じていることみたいですね。
しかもその話と言えば… 「内容がないよう」というくだらないだじゃれぐらいアホらしいものであることが多い。
誰もてめぇの人生設計なんざ満員電車ン中で聞きたくねぇよ。
「○○の内定もらったけどあんまそこじゃ俺の能力発揮するには足りねぇから、とりあえず3年くらいやって後は自分の能力生かせる仕事やるつもり。上下関係とか、おれ、苦手だし、興味ないし、でかい組織の中で歯車になって上にたたかれたりすると能力発揮できなくなるから…」云々的な。
それでもいい。そういう甘いこと行っていてもかまわない。学生なんてそんなもんだろう。
そういう風に思っていてもどんな奴だって現実に向き合わなきゃならない日々がやってくるんだから。
そういう考え持っていることは別に否定しないけどね、何でそれをわざわざ満員電車の中で蕩々と君の友にに語る必要があるの?
そういう電車の中を居酒屋の掘りごたつテーブル的なものにしている君の感覚はいかに一流大生としても意味不明。
大学出るような歳になってねぇ「ビッグになってやるぜぇ」的なこと公言するような高校生的ショボさを指摘するまでもないんだけれども… 聞くに堪えない。
男が公共の場で軽薄に饒舌になるとその国は滅びます。たぶん。
バブルが消えてから、あるいは、もっと端的に六本木ヒルズができた頃以降から、特にこういう傾向があるんじゃないですか?
何の因果関係も根拠もないとは思いますが。
本トの本当はね、こういう他人のくだらない話を聞き耳たてるってのは実はおもしろかったりもするんですよ。確かに。我々だってわざわざ満員電車に揺られてこんな話聞きたい訳じゃないし、聞かなきゃいいと思うんだけれども、ついつい聞こえてしまうわけでしょ。聞きたくないと思いつつ聞こえてくるとこういう風になんかつっこみ入れたくなっちゃうわけ。そう言う自分のスケベ根性が一番腹立たしかったりもするわけ。これって電車の中での携帯電話問題と通底するところがあるように(健康機器に悪影響与えるという論点はもちろん別にして)思うんですが、いかがでしょう?
携帯電話に無理矢理つなげて敷衍すれば、今日帰りの京王線でまさしく満員電車で二人連れのカップルがいて、やっぱり女の子のほうがむしろ男っぽい感じで逆に男の子がピーチクパーチク喋っていたんだけれども、突然聞こえなくなったと思ったら、奴さん携帯メールしてやがんの。
しかも優先席前で。
女の子はなんか「優先席前で… マズいんじゃないの」みたいに言っていたみたいだけど、それに対する男の台詞に閉口しました。
「大丈夫だよ。いたらわかるんだから」
どうやったらわかるの? ペースメーカーつけてる人が携帯いじってるあんたの目の前で胸押さえて青い顔したらわかるのか?
演歌の女王の大河内ひまわりバリに説教してやろうかと思いましたよ。
見るに堪えない。
このまま少子化が進んだ方がいいですかもね。アホの拡大再生産が減る。
日本終わったな。ああ、世も末だ。
タミフル
タミフル(リン酸オセルタミビル)の副作用が話題になっているようですが…
どうなんでしょう? 作用機序から言って異常行動を引き起こす大本の原因がタミフルにあるというのはちょっと関係ない気もします。
だってインフルエンザウィルスの酵素を阻害する機能を持った薬でしょ? それが何で行動異常に結びつくのか? ドーパミン経路に作用して、とか、血液脳関門をすり抜けて、とか、ひょっとしたら何かの関連性があるということは否定すべきではありませんが。
薬を用いる以上、何らかの作用副作用をヒトにもたらすのは致し方のないことだと思います。
たとえば、抗がん剤を用いなければ死に至る期間が短くなってしまうから命のためには多少の副作用を考慮しても利用するほうがいいだろう、というのが人間の知恵なわけでしょ。
たとえばタミフルを用いないでどんどん感染が広がってしまったら… インフルエンザは飛沫感染ではなく空気感染ですから、保菌者が咳をしたかどうか、クシャミをしたかどうかに関わらず空気を共有すれば感染の可能性があるわけですからね。出席停止は当たり前だけれども、それをわかっていても適当にマスクなんかして無理している大人もたくさんいる。
経済的機能を考えれば仕方ないんだけれども、休む勇気って言うのも必要だし、休んだとしたらその損害を最低に押さえるという意味からもこういう薬品を借りて過剰な広がりを押さえる必要があるわけでしょう? そういうことを無視して単にタミフルが… みたいな感じで、他の条件を考慮しないでスケープゴートにしている感が強い。
出席停止になった生徒を1週間代償できるんですか? 仕事休んでその期間にできた経済的損失、生産力の低下を代償できるんですか? そこら辺をきちんと考慮せずに「休んでいれば直るものにわざわざ抗ウィルス薬をを用いる方がまずい。副作用があるんだから使用禁止」みたいな論調には違和感を覚えます。
まず、本当に副作用があるのかどうかを確証することはもちろんですが、EBM的に考えたときに、タミフル使用群と非使用群で異常行動に本当に有意差があるのかどうか、検証することが必要でしょう。そのことについて指摘している論調は未だかつてみていない(私の不勉強かもしれませんが)。
インフルエンザ罹患の児童生徒を一人にしないなんて言うのも、当たり前のように響きますが、それができないケースだってあるわけだから問題なわけです。それを無視して単に「自己管理しろ!!」なんていうのは全く、無責任な言説に過ぎず、それを政府が指摘することのナンセンスさをこそ、使用禁止云々以前に考えるべきだと思います。






